張 栩プロ

ゲスト・張栩棋聖(当時)

インタビュアー・竹清

撮影・書記・藤森

お忙しい中なんとあの張棋聖が横浜囲碁サロンの取材を受けてくれました!

今回は張棋聖のご自宅での取材なのですが、玄関までご家族で出迎えて下さり感激のスタートでした。

奥さんの泉美先生がお茶とお茶菓子を出して下さりました。いただきながら早速最初の質問。

竹「張棋聖が囲碁を始めたきっかけを教えて下さい」

張「父は脳トレーニングに関心が高く、私にパズルゲームやトランプなどたくさんの事を教えてくれました。6歳になる頃にはどのゲームでも大人と対等に戦えるようになっていました」

竹「院生時代に頭脳オリンピックというテレビの取材がきて、院生にトランプの暗記テストが出された。栩君がほとんど全部覚えていたのが印象的だった。お父さんの英才教育が背景にあったのですね」

張「今でも出来るよ。この間は娘と100枚のトランプを覚えました。少し話が変わりましたが、ゲームの上達を見た父が囲碁も教えてみたくなったようです」

竹「娘さんもすごい!そしていよいよ囲碁ですね」

張「囲碁は始めてから毎日真剣に勉強しました。覚えて数カ月で初段近い父と良い勝負になりました。父も期待したようで、囲碁の先生を探してくれて、本格的な勉強の始まりでした。

紹介された先生はアマの三段くらいだったと思います。この頃も順調に実力を伸ばし、1年で置き石無しで1目勝ちをしました」

竹「1年で三段くらいまで昇ったということですね。まだ低学年ですからすごい集中力でしたね」

張「その後、大きな大会にも出て良い成績を出しました。実力はまだまだでしたけどね。勝負強かったのだと思います。普段は二子置いていた方に決勝で互い先の勝ちを収めました。

新聞で「天才少年現れる」と記事になりました。まだ地方でのことですから、世界を見渡せばもっとすごい人はたくさん居たと思います」

竹「すごいスピードですね。当時の勉強方法が気になります。何かすごい方法が!?」

張「呉先生(ゴ・セイゲン九段)の棋譜を良く並べました。刺激になったのは碁会所で私が対局をしていると、父が後ろで見ているのです。帰りにあの場面では他の手を選ぶとどうだったか?と助言してくれるのです。棋力はもう私の方が上でしたが、父は急所を良く見ているので、良いアドバイスが多かったです。

父は碁盤がちゃんと頭に入っているので、私も会話に置いていかれないように一生懸命頭に碁盤を頭に入れました。囲碁以外のことでも何でも私に教えてくれましたし、心から尊敬できる父です」

竹「やはり上達に大切なのは日々の積み重ねなのですね。この時はもうプロ棋士を目指していたのでしょうか?」

張「はい、この時はプロを目指していました。私が大会などで活躍できるようになると、台湾棋院を創設した方が私を経済的に支援してくれると言って下さいました。父は悩んだようですが、その方は「義理の父親として支援させてほしい、父が息子を応援するのは当然のこと。」そこまで言ったくださった事に父は感謝して引き受けたようです。日本にこられたのは応援して下さった方達のおかげでもあります。

林先生(リン・カイホウ九段)への紹介もしていただき、10歳の時に来日しました」

竹「謝ちゃんも取材の時に同じ話をしてくれましたが、台湾ではそういう温かい支援が多いですね。素晴らしいと思います。内弟子時代はどんな生活をしていたのですか?」

張「自分で勉強するという環境に最初は正直戸惑いました。台湾では先生がついて丁寧な指導を受けていたので。

でもこれで良かったのだと思います。教わるのは大切ですが、自分で考える事は長い目で見てもっと大切な事だと思います。先生は自分の考えを教えすぎると、それ以上のことを考える力が身に付かなくなってしまう事を心配して下さったのだと思います」

竹「なるほど。内弟子というと先生にずっと教えて貰えそうなイメージがありますが、むしろ一人で勉強する時間が多かったのですね」

張「検討の時も悪いとははっきりおっしゃらないのです。この手はどういう意味で打ったの?と考えさせるような表現が多かったです。温かく見守っていただきました。林先生の事はすごく尊敬しています。

でも私は検討の時にたまに厳しいことを言ってしまうのだけど(笑)」

竹「日本にきてから3年ほどでプロになっていますよね。こんな短期間でプロになると余裕を感じたのではないですか?」

張「実は一度やめようと思ったことがありました。私が日本に居る事は家族に経済的に負担になっていることは分っていましたから。そんなプレッシャーを感じる中、囲碁が面白いのかも分らなくなっていました。そんな時に母と数年ぶりに再会して、母の寂しそうな姿をみたらもう・・・。

それから林先生に囲碁をやめようと思っています、と伝えました。その時は院生のリーグ戦でも好成績でしたから先生はとても驚いていました。

先生にはその時、今年が最後のつもりで一年だけ頑張ってみなさいと言われました。その年は入段枠が多くて、プレーオフを制してギリギリの入段となったのです」

竹「すごいですね、運命というか。囲碁の神様が栩くんを離したくなかったのでしょう。能力を知っているだけに金融、IT、ゲーム業界など他の分野で活躍する栩くんの姿も見たかった(笑)

プロになってからの生活は僕も良く知っています。家に泊めて貰って一緒に遊んだり、囲碁を教えてもらったり良くしましたね。僕にとっては貴重な時間でした。栩くんとの交流が僕の囲碁人生を変えたと言ってもいいと思う」

張「あの時は竹清くんがプロになるのはまだ大変だと思って布石をひとつプレゼントしましたね(笑)」

竹「そうそう、あの布石で院生の序列で一番になった(笑)あれがすごく自信になりました!間違いなく僕が一番影響を受けた棋士は栩くんです。正直言うと囲碁だけでなく、横浜囲碁サロンの経営なども含めてあらゆる面で栩くんの哲学を意識しています。最後に四路の碁について教えてください」

張「四路の碁は囲碁界からパズルゲーム業界への挑戦という気持ちがあります。こんなに小さくしても囲碁はここまで深いのです。パズル業界の天才やマニアにも解いてほしいです。この狭さで、この奥深さにきっと囲碁の神秘性が伝わることでしょう。

あとはルールを覚えるのにもとてもいいですよ。囲碁に必要な分野を戦略、戦術、戦闘力と三つに分ける事が出来ますが、四路の碁は戦闘力を身につけるのに最適です。19路でしたら有段者と初心者の距離は大きく離れてしまいますが、四路の碁に慣れている初心者ならば有段者より早く問題を解ける可能性もあります。棋力の距離を縮めて楽しめるのもメリットです。

こんな話を良くしていたら、偶然スポンサーがついてくれました。ありがたいことにデザインもとても可愛くして下さって。販売後は好評を得ているようですよ」

竹「四路の碁が広まれば19路の囲碁にもずっと入りやすいですね。四路の碁はどのように楽しむのがベストですか?」

張「対戦用というつもりでは作っていないのです。碁ワールドの別冊などで問題も出していますが、あくまでパズルゲーム感覚で問題を解いていただくのが良い楽しみ方です」

竹「これから良い問題がたくさん出版されそうで楽しみです。今日は囲碁を覚えてからの事を丁寧にお話ししていただき本当にありがとうございます。子供教室でも色々取り入れさせていただきますね」

張「いえいえ、これからも気軽に遊びに来てください。横浜囲碁サロンにも遊びに行ってみたいです」

最後まで温かい言葉をかけて貰い、夕飯にとても美味しいサンドイッチまで馳走して下さいました。張棋聖、泉美先生、可愛らしい笑顔で出迎えとさよならをしてくれた娘さんたち一日本当にありがとうございました。感謝の絶えない一日となりました。

張棋聖の四路の碁の紹介

四路の碁

http://www.nihonkiin.or.jp/news/2011/07/731_1.html